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神戸地方裁判所 平成2年(ワ)1042号 判決

原告

伊達佐千子

被告

長田幸雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対し、五八三〇万円及びこれに対する昭和六三年五月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、交通事故により傷害を負つた原告の損害賠償請求事件である。

一  当事者間に争いのない事実等

次の1と2の事実は当事者間に争いがなく、3と4の事実は関係各証拠によりこれを認める。

1  原告は、昭和六三年五月二六日午前九時一四分頃、神戸市須磨区妙法寺字界地八二番地の二先路上(県道神戸三木線)の東側歩道上を北方から南方に向かつて歩行中、同じく北方から南方に向かつて走行し、東側歩道上にいた乗客(菅田昌広)を乗せるために停車した被告運転にかかるタクシーの開かれた後部左側ドアに原告の腰部と腹部が接触し、負傷した(その詳細な事故態様については後記認定のとおり)。

2  原告は、本件事故により、昭和六三年五月二六日、相信病院において腰部・腹部打撲と診断され、同月二八日までの間同病院に通院して治療を受け、また、同年六月一日に小原病院に腹部・右大腿部挫傷の診断名で通院した。

3  原告は、そのほか、同年五月三〇日から同年七月一一日までの間竹國接骨院に通院して治療とリハビリを受けたものの、腰痛や右下肢麻痺を強く訴えるようになり、新須磨病院において七月九日から入通院して平成元年六月一一日までの間治療等を受けたが(入院期間は合計八二日間)、同病院の診断書には腰痛症、右仙腸関節捻挫、右骨盤打撲、右腰神経叢麻痺との傷病名が記載されており、その後、さらに神戸市立西市民病院においても同月一二日から入通院して治療を受けたが(入院期間は合計三七日間)、同病院の後遺障害診断書には、同年八月一一日に症状が固定し、右下肢知覚障害・筋力低下、腰椎部運動障害、排尿・排便障害、生理停止等の後遺障害が残つた旨の記載がされている(甲第二ないし第四号証、乙第二四、第二五号証、原告本人、証人角田雅也)。

4  原告は、新須磨病院に通院し始めた直後の昭和六三年七月一一日ないし一二日頃、自宅マンシヨンの通用階段を降りる際に過つて転落し(約八段分)、左半身を打撲し、同病院で、左側頭部、左肩、左肘、左腰部打撲と診断され、同一二日から入院して、前記の治療とともに、これらの部位の機能訓練も受けた(甲第三、第四号証、乙第二六号証)。

5  原告は、これまでに、本件事故に関する損害の填補として、合計四〇一万三三三三円を受領している(なお、三八九万八二七三円の限度では当事者間に争いがないが、乙第一ないし第一九号証によれば、右全額について認めることができる)。

二  主たる争点

本件の主たる争点は、本件事故の態様と原告の過失の有無、本件事故と相当因果関係のある原告の傷害の内容である。

1  本件事故の態様と原告の過失の有無

(原告の主張)

原告は、被告がタクシーを道路東側の歩道寄りに停車させる際、歩行中の原告に全く気付かず、完全に停車しない状態で、乗客の菅田を乗車させるために後部左側ドアを勢いよく開いたため、まず、そのドアが原告の右後腰部と大腿部に当たつて歩道東側の人家のブロツク塀との間に原告の右腰部等を挟み込み、さらにもう一度ドアが原告の右前腰部に当たつたのであり、その程度は原告を座り込ませるくらいの強さであつたと主張し、また、原告には過失はない旨主張する。

(被告の主張)

これに対し、被告は、菅田を認めてタクシーを道路東側の歩道寄りに停車させた後、後部左側ドアを少し開いたところ、菅田がドアをもう少し開いて後部座席に乗り込んだ際に、原告が下を向いて前方(南側)を注視しないまま歩道上を歩いてきたため、右開かれたドアに軽く当たつたのであり、原告にも、相応の過失がある旨主張する。

2  原告の受傷した傷害の内容と本件事故との因果関係

(原告の主張)

原告は、前記一の3のとおり、本件事故によつて、腰部・腹部の打撲だけでなく、腰痛症、右仙腸関節捻挫、右骨盤打撲、右腰神経叢麻痺等の傷害が生じたのであり、これらの受傷及びこれに基づく後遺障害は、すべて本件事故と相当因果関係がある旨主張し、被告が指摘する、原告が昭和六三年七月に前記のように階段で転落したことも右下肢の麻痺によるものであつて、これもまた本件事故と相当因果関係がある旨主張する。

(被告の主張)

これに対し、被告は、前記の事故態様からみて、本件事故と相当因果関係のある原告の負傷は腰部・腹部打撲だけであり、原告主張のその余の症状は、その存在自体疑わしいものであるが、仮にあるとしても原告が自宅の階段から転落したことなどによるものである旨主張する。

三  原告主張の損害

原告は、被告は自賠法三条に基づき、次の損害を賠償する責任を負う旨主張する。

1  休業損害 二八八万円

ただし、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計女子労働者学歴計の年収額二三八万五五〇〇円に、昭和六三年五月二六日から平成元年八月一一日までの一年と二五箇月分を乗じて算出した額のうちの金額。

2  逸失利益 三四九九万円

ただし、前記一の3のとおり、原告の後遺障害のうち、右下肢の筋力低下は自賠法施行令後遺障害別等級表五級二号に、排尿・排便障害、生理停止は一一級一一号に該当し、腰椎部運動障害は八級二号に該当しないまでも相当の運動障害があり、これらを全体としてみると、四級に相当するというべきところ、症状固定時から六七歳までの二五年間について労働能力喪失率を九二パーセントとして前記年収額を基礎に計算した額のうちの金額。

3  入通院慰謝料 一五〇万円

4  後遺障害による慰謝料 一五五〇万円

5  弁護士費用 五〇〇万円

第三当裁判所の判断

一  本件事故の態様

前記当事者間に争いのない事実と甲第五号証の一、二、検甲第一号証の一ないし六、第三号証の一ないし一四、乙第二〇号証、第二四号証の五枚目ないし七枚目、証人菅田昌広の証言及び原告本人尋問の結果(これらについては後記採用しない部分を除く。)と被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告は、前記日時頃、タクシーを運転して前記道路を北方から南方に向かつて走行中、本件事故現場より北方約一二、三メートルの付近において、その南方の道路東側の歩道用部分(幅約七〇センチメートル、以下単に「歩道」という)上でタクシーをつかまえようとして手を挙げて合図している菅田を認め、減速の上、道路東側の歩道寄りに自車を寄せて停車しようとした。

2  菅田は、右のように手を挙げながらも右歩道上を南方に向かつて歩いており、本件事故現場にさしかかつたときに、被告運転のタクシーが停車した。そして、菅田は、やや南方から北方に後戻りするような感じで右タクシーの後部左側の前に立つた。

3  被告は、停車後、機械操作により普通どおりに後部左側ドアを開いたが、このときは大体三〇センチメートル程度開いただけであり、その後菅田が乗ろうとして自分でドアをさらに開き、そのスペースから後部座席に乗り込んだ。

4  ところで、原告は、本件事故現場付近の自宅を出て、本件事故現場の南方にあるバス停留所に向かつて歩道上を歩いていたが、その途中にある本件事故現場付近で菅田の左側(東側)を通り越して進んだところ、3のとおり菅田が開こうとしたドアの先端部分が原告のやや後方(北方)から原告の腰部と腹部付近にぶつかり、ちようどドアと前記人家のブロツク塀との間に挟み込まれる形になり、さらにドアが原告に当たつて南方に開き過ぎたためにややはね戻るような形でもう一度原告に衝撃を与えた。

なお、原告は、その瞬間まで、被告運転のタクシーが停車したことや菅田がタクシーに乗り込もうとする動きには全く気付かなかつた。

5  その瞬間、原告は、「痛い」と声を上げたが、これはちようど菅田が後部座席に座つたときであり、菅田はその声を聞いて左方(東方)を見て原告の腰付近がドアに当たつているのを見た。

また、被告は、右ドアを閉めようとして機械操作をしようとしたときに初めて、ドアに原告の身体が接触しているのに気付いた。

6  被告は、原告に対しどうしたのかと声をかけたところ、原告が立つたまま腰を手で押さえながら「(ドアに)当たつた。痛い」と言つたため、原告を病院に連れていくこととし、原告もまた被告運転のタクシーに乗り、前記相信病院へ向かつた。

7  なお、被告運転のタクシーが停車した際の車体左側と人家のブロツク塀との間隔は約八〇センチメートルであり、また、開かれた後部左側ドアの先端部分と右ブロツク塀との間隔は約三〇センチメートルであつた。

以上の事実を認めることができる。

証人菅田の証言中、右認定に反し、自分はドアを開けたことはないとする部分は、被告の供述及び前記乙第二五号証の記載部分に照らして採用し難い。

そして、原告が本件事故当日に行われた実況見分以来一貫して菅田の左側(東側)を通り越して前に進んだところでドアに当たつた旨述べているところからすると、原告の右供述は採用するに足り、これによれば、前記認定のとおり、右菅田の開いたドアが原告のやや後方から原告に当たつたものと認めるのが相当であり、既に開かれた静止中のドアに原告がぶつかつたものとは認められない。

もつとも、原告は、ドアに当たつた後に、痛みのために道路に座り込み、被告が腰の辺りを抱えて立たせてくれた旨供述しているが、この点については、被告及び証人菅田の各供述と対比すると、直ちには採用し難い。

二  本件事故直後の原告の治療経過

次に、乙第二五号証の八枚目ないし一四枚目、証人菅田の証言及び被告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故後相信病院において診断と治療を受けたが、腰部・腹部打撲と診断され、その後三日間の通院治療においても湿布処置と投薬だけであつたこと、原告は、その後昭和六三年五月三〇日からは実家近くの竹國接骨院に通院し、腰部捻挫、右股関節捻挫との診断を受け、柔整療法、物理療法等による治療を受けたが、初診時には腰部と股関節の圧痛と運動時痛、右下肢の放散痛等を訴え、歩行困難を訴えていたものの、徐々に右症状が緩解し、同年六月二八日頃には前後屈時痛や放散痛も軽減していたこと、また、原告は同月一日には小原病院に通院してレントゲン検査を受けたが、骨折なしとの所見であり、単に腹部・右大腿部挫傷と診断されたにとどまり、治療も湿布措置程度であつたこと、また、被告は、原告の竹國接骨院への通院につき合計一〇数回タクシーで送つて行つたことがあつたが、そのときには原告は松葉杖をつくこともなかつたこと、の事実を認めることができる。

以上の事実によると、本件事故後六月初め頃までの間の原告の症状というのは、原告を診断した相信病院と小原病院の医師の各所見によれば、骨折がなく、腰・腹部や右大腿部の打撲と診断されただけであり、竹國接骨院でも原告の前記のような主訴が中心であつたことを考えると、結局、あくまで打撲痛が主であつたというべきである。

三  その後の原告の症状と医学的所見

1  原告は、その後も、前記一の3のとおり、同年七月九日から新須磨病院に入通院して治療を受け、さらに神戸市立西市民病院においても入通院して治療を受けたが、原告の症状については、腰痛、右仙腸骨関節痛等が一段と強まり、また右下肢の麻痺や筋力低下を訴えるようになり、さらにその後これらの症状の悪化、拡大を訴えるようになつたのである。

2  ところで、前記甲第三、第四号証、乙第二三号証及び新須磨病院において原告を診断した証人角田雅也医師の証言によると、同病院における原告の初診時には、他覚的な検査所見としては膝蓋腱反射及びアキレス腱反射の低下、前脛骨筋及び長母趾伸筋の筋力低下がみられただけで、そのほかには原告の主訴を通じての脊椎の運動時痛や第四腰椎等の圧痛と右大腿前部の知覚低下がみられただけであつたこと、そして、角田医師は、これらの所見を基に、他の原因の可能性もあり得るとしながらも、第四・第五腰椎部分から出る神経と第一仙骨部分から出る神経の障害から右症状が表れている可能性があると考えているが、これらの神経学的な所見と原告のいう右大腿部の麻痺とは一致しておらず、そして、原告の右症状がその後の治療にもかかわらず悪化していつたことからみて、腰神経叢の麻痺という可能性があると考えていることが認められる。

3  また、乙第二四号証八枚目ないし一〇枚目(診断書)によると、神戸市立西市民病院では、原告の右症状につき、右半身知覚鈍麻と右下肢麻痺の主訴があるが、腱反射や筋肉系酵素電解質に異常を認めないとされ、神経伝導速度の低下等から末梢神経障害の所見はあるものの、神経学的所見と原告の訴えが一致しないために心因反応があるとの所見を下していることが認められる。

四  本件事故と原告の右症状との因果関係の有無

以上に認定、説示したところに基づいて、本件事故と原告のその後の症状との因果関係の有無について検討する。

まず、前記一、二で認定したような本件事故の態様と事故直後の原告の症状からすると、菅田が開いた際のタクシーのドアの原告の腰・腹部に対する当たり方というのは、菅田が特に強く開いたというような事情が全く窺われないことからみても、さほど強いものであつたとは考えられず、また、前記ブロツク塀との間に原告の腰・腹部が挟み込まれるような形になつたことを考慮しても、その全体の衝撃というのは打撲を来す程度のものであつたというほかない。

そして、右のようなドアの当たり方を前提として、証人角田の証言によつて検討すると、角田医師は、右程度の衝撃では打撲の痛みが出る程度であつて、前記のような脊髄の神経症状を起こすかどうかはよく分からず、単に起こり得る可能性があるとするにとどまるのであり、その証言の全体からすると、その後の原告の症状の悪化、拡大の点も加えて、結局、原告の症状の原因についてはよく分からないとしているのである。

さらに、前記三で認定したとおり、他覚的所見としてはさしたるものがなく、かえつて、原告の主訴と神経学的な所見との不一致が指摘されているのであり、加えて、甲第四号証によると、原告は新須磨病院の入院中に前記のような強い主訴にもかかわらず、病院の中をよくうろついており、安静にするようにとの指示を受けていたことが認められるのである。

叙上のところからすると、本件事故直後に診断された腰・腹部、右大腿部の打撲については、本件事故と相当因果関係のある傷害と認められるものの、前記認定のとおり竹國接骨院で治療を受けていた昭和六三年六月末頃には症状が軽減していたことをも併せ考えると、その後にひどくなつてきた腰痛や右下肢の麻痺・筋力低下等の症状は、本件事故と相当因果関係あるものとは認められないというべきである。そして、他に右相当因果関係を肯認するに足りるような証拠はない。

したがつて、これらの症状を前提とした本件事故と相当因果関係のある後遺障害(右下肢の麻痺と筋力低下、腰椎部運動障害)の存在もまた認められないことに帰着し、また、原告主張の排尿・排便障害と生理停止についても、腰・腹部の打撲程度で右症状が生ずるとはにわかに考えられず、本件全証拠を検討しても、これらの症状と本件事故との相当因果関係を肯認することはできない。

また、原告は、原告のこれらの症状について、同年七月の階段からの転落による打撲が悪化の原因になつているとしても、右転落事故自体が本件事故による右下肢麻痺によるものであるから、その悪化も本件事故と相当因果関係があると主張する。しかしながら、前記の認定、判断のとおり、本件事故による原告の受傷というのは打撲程度のものというべきであり、既にその頃においては歩行による階段の昇降に支障を来すほどの痛みが残つていたものとは認められないから、右転落事故と本件事故との間の相当因果関係を肯定することはできない。

なお、あえて付言すれば、原告主張の腰痛や右下肢の麻痺・筋力低下が顕著になり、さらに排尿・排便障害、生理停止といつた症状が出たとする点については、乙第二三号証の記載に照らすとき、右階段からの転落事故による影響が原因ではないかと推測されなくもないが、この転落事故と本件事故との間に相当因果関係を認めることができないのは前述したとおりである。

五  被告の賠償責任と原告の損害

1  被告の賠償責任

被告は、前記のとおり、本件事故当時、タクシーを運転してこれを自己のために運行の用に供していたものと認められるから、自賠法三条に基づき、原告の被つた次の損害を賠償する責任がある。

2  原告の損害

(一) 休業損害

本件事故と相当因果関係のある休業は、前記のところからすると、本件事故当日から昭和六三年六月末までの通院期間(合計三六日間)に限られることになる。そして、原告の収入の認定については適切な証拠がなく、家事従事者と認めて、本件事故当時である昭和六三年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計女子労働者全年齢平均の年収額二五三万円七七〇〇円を基礎として計算すると(三六六日の日割計算)、二四万九六〇九円となる。

(二) 慰謝料

また、右期間の受傷による通院慰謝料としては、本件事故の態様、受傷部位・程度と通院期間等を勘案すると、四〇万円が相当である。

(三) 後遺障害による逸失利益や慰謝料については、前記のところからしてこれを認めることができない。

3  過失相殺

前記一で認定した本件事故の態様からすると、原告には歩行者とはいえタクシーの停車や乗客の乗車に全く気付かなかつたという前方不注視の過失があるといわなければならず、少なくとも一割の過失相殺を免れない。

4  以上の損害額合計六四万九六〇九円に一割の過失相殺をすると、五八万四六四八円となる。

5  弁護士費用

弁護士費用としては、本件事案の内容、認容額等を勘案すると、一〇万円が相当である。

6  以上によれば、原告の損害額は、合計六八万四六四八円となるが、前記認定の損害填補額と対比すると、既に過払の状態にあることは明白である。

六  結び

そうすると、原告の本訴請求は、理由がないから失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安浪亮介)

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